インフルエンザとの付き合い

CampFunstonKS-InfluenzaHospital
こんにちは、
今日も気持ちの良い秋晴れです。

昨日、インフルエンザの予防接種に行きました。
予約をしてから病院に行きましたが、なかなか呼ばれません。
若干イライラしてきました。
どうなっているんだろう。
「これじゃあ、予約の意味がないじゃないか」と、
メモを再確認すると、自分が時間を間違えていました。
怒る前に気が付いてよかったです。
赤面の思いで、再着席し呼び出しを受けたのは、予約時間との誤差1分。

予防注射は、すぐには効果がでないとのことです。
が、小生の自信には即効でした。
腕を出して「ちくっ」とした瞬間から
「インフルエンザさん・・・どこからでも、かかっていらっしゃい!」
一瞬で強気に変身。

ところでインフルエンザが、ウイルスの病気だとわかってきたのは、
実に最近のことだそうです。
小生が子供のころは「流行性感冒」略して「流感」と言われていました。
学級閉鎖に追い込まれた経験もあります。
とにかく感染力が強く、くしゃみと高熱の症状が出るので死に至ることがあり、
子供と高齢者は、特に気を付けねばなりません。

元々の発生はアメリカだったそうです。
アメリカ大陸の鉄道工事に関わった
中国人労働者が持ち込んだことがわかっています。
そうすると実は中国ということになります。
そして、やはり根源的には中国の鳥インフルエンザに行き着くそうです。

古い話ですが、第一次世界大戦にアメリカも参戦することになりました。
国内の若者が集められて訓練を受け、ヨーロッパ戦線に送られました。
ところがアメリカの基地にいた段階で高熱をだし
「くしゃみ」をする症状の人がいました。
それが、兵舎の中であっという間に広がり大変なことに・・。
でも中には元気な人もいたそうです。
元気な若者を選んで船に乗せてフランスへ向かうと、
途中で、あっという間にそこでも蔓延して、
次々に死んでいきました。
残った若者を戦線に送り込んだ途端、
今度は、フランスやイギリス、ドイツにもこの病気が拡がっていきました。
ウイルスは、とんでもない奴です。
戦争中ですからこのことは、最高レベルの秘密にされていました。
ところが、一国だけ公開した国がありました。
それがスペインです。
中立国でもあり、参戦していなかったので
多くの死者が出ていることは、かまわず報道されました。
そのため「スペイン風邪」と呼ばれ、世界にその名が残ったそうです。
大流行のスタートはアメリカですから
まったくの濡れ衣ということになりますね。

第一次世界大戦はなぜ終結できたのか。
毒ガス兵器が使われ戦車が登場し、
爆撃が始まる大量殺戮の泥沼へと突き進んでいきました。
一進一退。
長期化するとともに各国は、戦死者も増えます、
国の財政は破綻です。
それが原因で・・・と。

しかし、どうもですね、
それだけではない、もっと深刻な現実がありました。
実は、敵も味方もスペイン風邪でばたばた倒れ、
なんと戦没者よりも多かったという、データが残っています。
笑うに笑えない。
これでは、戦争を続けることができないのは、あたりまえ。

日本での流行は、死者39万人とも48万人とも言われています。
スペイン風邪は1918年から翌年にかけて猛威を振るったあと突然姿を消します。
姿を消すといっても特効薬がつくられたわけではなく
世界中に感染が広がったのですが、
免疫のできた人は生き延び、それができなかった人は死んでしまった。
と、いうことになります。
我々は、その生き延びた人たちの子孫に当たります。
証拠として私たちの遺伝子の中には、
このインフルエンザウイルスとの戦いの痕跡が残されているそうです・・・。

長くなりました。午後の仕事が始まります。
今回も読んでいただきありがとうございました。
この続きは、次にさせていただきます。

   インフルエンザの調査隊  額装の㈱アート・コアマエダ(店主)