優等生

日ごとに陽差しが強くなりますね。
お元気ですか。

私事から始めさせていただきます。
小生は高校卒業まで神戸で育ちました。
その後6年余りは、学校と就職にて大阪で生活をしていました。
そして関東で生活するにいたって、
ことさらに神戸や大阪の特殊性に気づかされたことがあります。

大阪の友人は親切ですし、今でも仲の良い友人も多くいます。
でもお国柄なのか、みなさん独特の個性がありまして、
中には馴染みにくい人もいるのです。
関東でお世話になって四十年になりますが、
こちらのほうが正直なところ、私には楽でしたね。
・・・と、ここまでは、私の意固地な個性との関わりの感想です。
とりあえず忘れてください。

でも「大阪の人達」は、好きです。
大阪というのは「共和国」のようなところなんですね。
ご承知のように江戸時代、大名はいませんでした。
お侍は二百人から三百人位しかいなかったそうです。
東と西の町奉行所に与力と同心がいる程度だったそうですから。
つまり侍の美意識が入らない町人主体の文化を持つ地域でした。
庶民の自治意識も強いのです。

それに比べ、当時の江戸や金沢では半分が侍でしたから・・。

小難しい話になりますが、
武士と言うのは形而上文化を尊敬するわけでして、
それが町人の人達にも影響するわけですね。
しかし大阪ではそういう影響をあまり受けていない。

今も連綿とその違いは、続いているように思います。

関西では「優等生は笑われる」という言葉があります。
簡単にいえば「優等生は値打ちがない」とされる。
「優等生」の自覚を持っている人達からすれば面白くない話ですが、
優等生然とした振る舞いは、小ばかにされる場合があります。

会話の枕詞で「ほんまに・・・俺は、あほやから・・・」
で始めることがあります。
「俺ってオッチョコチョイやから・・・」と、
自分を適度に貶めながらバランスをとるのです。
成績の良いことはそれほど大切な評価とせず
自分をあえて笑われ役にすることで、他の人達の言い分を聞き、
最後は「しゃあないなあ」とひとつにまとめあげることができる人が、
本当に賢いとされる。
おもしろいやつ、頼りになるやつのほうが、うんと評価が高い。
現実的な実用主義が庶民の考えの基本になっているようです。

東西に関係なく時々出会うことがあります。
三枚目で皆を笑わせ調整し、うまくまとめ上げ、
後になって、実は大したことをやり遂げた人物だった、
なんてことに周りが気づく・・。
面白い傑物。

話が長くなりました。
気候の変わり目です。皆様、お体ご自愛いください。

  優等生になれそうにない額装屋 ㈱アート・コアマエダ(店主)