名前ルーツ

こんにちは。

もう12月になりました。寒さを実感しておられることと思います。お元気でしょうか。

テレビで芸能人のルーツを探る番組があります。三代か四代くらい前までの足跡を丹念に調べ上げています。そこに感動を喚起させる塩味を加えて番組を盛り上げていますが、調査力はKGB並みですね。NHKさん、すごいよ!(拍手)

ところで、「名前(姓)のルーツ」についてです。ご存知のように江戸時代は、百姓、町人衆は苗字(姓)を名乗ることが許されませんでした。しかし江戸期後半かららしいのですが、百姓町人でも苗字を公称するものが出てきました。藩に一定以上の献金をした者には、それが許されるというもの。これには訳がありまして、逼迫した藩財政のたてなおし策の一つで、そこには必要にせまられたやむを得ない事情があったのです。

絵師になったり役者になると姓を私称した形跡もあります。あくまで私称ですが。松尾芭蕉は武士の出ですからよいとして、井原西鶴の井原は、お上のお目こぼしであったと何かで読んだことがあります。

明治3年には、「平民も姓をつけよ」という太政官令が出ました。西洋のまねと、封建の強制終了ということもあったと言われています。しかし、大阪あたりでは、なかなか面倒がって実行しなかったらしいのです。当時、隠し姓というものがあって、言い伝えで、先祖は、戦国期の武士だという家が多くありました。そういう家は、それを生かして届け出たそうです。言い伝えのない家は、神主や住職につけてもらったりしたといいます。小生の姓のルーツもその辺かと思われます。

日本の姓のもとは源平籐橘(げんぺいとうきつ)ですが、明治のこの時代「藤原」を名乗る家が一気に増えたといわれています。鎌足や、不比等、道長といった昔の名家の人気が、理由だったようです。一方、藤原家は、本家の公卿でさえ近衛、鷹司(たかつかさ)、九条、二条、という具合に苗字を変更しました。本物の藤原がその姓を手放しているというのに、やたらと藤原家が生まれたというのは、明治の創姓ブームの愛嬌ある副産物だったと言えるでしょう。

面白いのは、水戸の下村嗣次(あるいは木村嗣次)という人物が脱藩して攘夷運動に加わり、のちに首領株となった新撰組の芹沢鴨(かも)のことです。首領である彼は(おそらく新選組の別のグループによって)暗殺されました。活動期間が短かったこともあり、どういった人物かは調べてもわからない。ただ、「鴨」という妙な名は、同時代およびその過去にも見当たらないことから考えますと純粋独創で、大胆な発想の風変わりな前衛詩人のような人物を想像してしまいます。

残念ながら歌とか詩とかの傍証材料もまず見当たらないので、何とも想像の域を出ませんが、「鴨」の名前を歴史に記録しただけで、詩人としての仕事を果たしているように思えます。

長くなりました。
今日は皆様にとって、きっといいことがある「鴨」。
  
   額装の㈱アートコア・マエダ(店主)