夢とニューヨーク

こんにちは。
梅雨前線も活発に動いています。
湿度の高い日もありますが、お元気ですか。
これから昼休みです。

今から40年ほど前に「夢見た話」です。
ずいぶん遠い昔、弊社創業の頃の小生の挫折と苦悶の話です。
個人的な話ですが、チョッと我慢して読んでくださいね。

国内の既存の額装業者の皆様は、二代目、三代目の方達が多く、
創業は「明治何年」なんてお店が何十軒もありました。
しっかりとした伝統技術を持ち、素晴らしい商品がラインナップされていました。
そのようなマーケットの中で新規参入の私達は、当然ですが苦戦の連続です。
額装ビジネスのなかで、自らの「夢」をどのように育てていけばよいのか。

お客様の意図する商品が思うように作れない。
業績は伸展しない。
気分は落ち込み、厭戦気分の交錯するなかで仕事をしていました。
足が地に着いてない状態の毎日。
肉体的にも精神的にも「限界点」をさまよっていましたね。

そんな具合で10年くらいが過ぎました。
自分の時間に辛うじて余裕ができた頃、
お客様に誘われて海外へ勉強にいくことになりました。
最初はニューヨークへ。
後にシカゴやロスアンゼルス、サンフランシスコなどへも行きましたが、
でもやっぱりニューヨークは魅力的でした。
何度行っても飽きることはありません。
大小1000軒ものギャラリーがあり
オリジナルで、新進気鋭の画家達が競っていました。
素晴らしい作品が溢れています。
ヨーロッパとは異なり、自由で活動的で魅力的な場所。
各ギャラリーが、独自の額装スペースとスタッフを持っていました。
コンテンポラリーの作品は、世界中から買い付けに来るほどに盛況でした。
とてつもなく大きな美術館もあります。
この美術品の収集力と規模の大きさに、
まさに圧倒的な国力の差を感じました。

そこで、考えました。
この地ニューヨークに日本人として額装のビジネスを展開させるのは可能か。
西陣織や漆塗りを駆使して、日本人の繊細で大胆な額装を
ここのマーケットに定着させることが、・・・きっとできるはずだ。

つまり、東京でうまくいかないのならニューヨークへ進出だ。
(と言うか・・・本当は「逃げよう」が半分)
すべてを整理すれば資金も準備できそうだし、
そこへ行って骨を埋めるのだ。
真剣に模索を始めました。
残った問題は家族を説得することができるか・・のみ。
ヨシッ!

と、その直後、日本にバブルの波が襲来してきます。
世界中のダブついた資金が一気に日本の資本市場へ流れ込んできました。
株価も地価も大暴騰。
日本人のほとんどが、中流のお金持ちになったと錯覚した時代ですね。
そうしますと、にわかに日本での受注が増えてきます。
一転して「ニューヨークより、これからは東京だ」っていうことになります。
まったくゲンキンなものです。
そこで海外の話は、中断。
そのまま今日に至ります。
バブル期には、美術品も飛ぶように売れて「忙しくって、猫の手も借りたい」
どこの業者さんもこんな毎日を過ごすことになります。

現在ニューヨークで経営する日本人の額装屋さんが何軒かあります。
現地のスタッフを雇用して立派にやっておられます。
益々のご発展をお祈りしています。

今でも思い出すのは、冬のニューヨーク。
やたら寒く、マンホールの隙間から
下水と地上の今度差を象徴する蒸気が立ち上っていました。
治安にも不安がありパトカーのサイレンの音が、毎夜鳴り響いていました。
実際にチョッと怖い体験もしました。
そんな中で、夢の夢を追いかけていた頃が懐かしいです。

チャイムが鳴りました。
もっと書きたいのですが、現実に戻ります。
これから午後の仕事です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

 いつまでも燃えていたい額装への想い  額縁のアート・コアマエダ(店主)