夢みる職人 ①

こんにちは。

個人的なことですが、私は「職人」この言葉の響きが大好きなんです。
ここから連想するのは物を作る時の真剣な目、ひたむきな姿です。

「職人芸」「職人肌」「職人魂」すべて、大好きな言葉です。

調べてみましたところ

職人とは自ら身に付けた熟練した技術によって手作業で物を作り出すことを職業とする人達のことである。産業革命以前は、職人が生活活動の中心となっていた。そして技術は、徒弟制度によって受け継がれてきた。


とあります。

最近ではスポーツの世界でも「職人」という表現が使われるようになったようです。もちろん職人にも段階があって、人間国宝に認定されるレベルから自称職人のランクまで様々なわけですけども・・・。

それでは、私共の額縁業界の「職人」は、どうなっているのでしょうか。
日本の額縁屋さんの歴史を調べて見ました。
以下は、古径の元専務岩松氏の文章、その他複数の文献を参考にさせていただきました。

明治の初め、下谷池之端のガラス鏡商が洋画を初めて陳列、販売をしたとの記録が残っています。屋号は「和田商店」。その後、海外より輸入された額縁がここで売られていたようです。どうもこれが、日本第一号の額縁屋さんのようですね。その後、商いを義弟に譲り、「八咫屋」として銀座に出店、後々までも大きく発展することになります。そしてあの有名な「古径」さんにも繋がっていくことになりました。和田商店開店のその少しあと後になりますが、額縁屋「磯谷」が、銀座竹川町に商いを始めます。本格的な額縁造りは、ここから始まったとされています。

そのご主人、長尾健吉氏はパリ万博から帰国後、山本芳翠らの奨めでこの仕事を始めた、と上記岩松氏の文章にも記されています。当時のニュービジネスとしての未来性に着目したのでしょう。


岸田劉生も頻繁に来店したといいます。
その他岡田三郎助、浅井忠などびっくりするような名前が連なっています。
当時の一流画家が、競うように額縁を注文したそうです。

そこからは、当然多くの素晴らしい額縁職人さんが育つことになります。
油絵の黎明期ですから、仕事はやりきれないほどある訳ですね。
腕の良い職人さんは時勢の要請もあり、必然的に力をつけて独立していきます。

 太田額縁さん
 古径さん
 長尾商店さん

その他各々の屋号を掲げて、特長を活かしそれぞれが大繁盛したそうです。
日本の油絵額縁の歴史は、この職人さん達によって作られたられたって事ですね。
もちろん、画家と職人の人間交流や、額縁造りに全てをかけた人生劇やら・・・と。
多くのドラマ、人生劇場が、次々に繰り広げられたことでしょう。
想像するだけでワクワクしてきます。

長くなりますので、今回は、ここまでとさせていただきます。
続編は、次回に・・・。

豊富な食材の季節、
過食過飲には、くれぐれもご注意くださいませ。

 額縁の ㈱アート・コアマエダ