「一気呵成」の

一気呵成の箔貼り作業
冬季オリンピックでのメダルラッシュ、おめでとうございます。競技の活躍、裏話、多くの感動を見せていただきました。選手たちの帰国時の笑顔もよかったです。メンタルの部分も鍛えられていて、特に各選手のコメントが素晴らしかったですね。今どきのアスリート(若者)は、なかなか凄いと思いました。

さて、ここからは額装の話です。今回は箔を貼る作業のご紹介です。

まず、下地塗装の表面に粘着ニスを塗ります。厚いところや薄いところが無いように均等に何度も伸ばします。念入りに。

その後、箔貼り作業が始まりますが、ここからは途中で手を休めることができません。箔下の粘着力は、時間経過で徐々に低下します。粘着のピーク時間は限られているのです。いざ貼り始めたら、終えるまではまさに「一気呵成」です。

箔貼り作業の際、大きい呼吸も厳禁です。うすい箔ですから微妙に影響します。

箔貼りイメージ
そして、この不思議な仕草が気になります。貼る作業の前に銀箔を左手に持ってジッと間合いを図っているかのようです。

「何かのまじない?」

実は、作業手順の「イメージ」をしているのです。これも大切なルーティン。

あとは、いつものように一気呵成。

加藤君、お見事!  

  額装の㈱アート・コアマエダ(店主)



岩松是親油彩展

赤茄子
こんにちは。まずは、展覧会のご案内です。

岩松是親油彩展

岩松先生は、額縁の世界では高名な株式会社「古径」の経営者でもありました。額装業界の社会的地位向上に尽力された立志伝的人物。若い時から三岸節子画伯に師事、現在は画家として専念しておられます。ギャラリーには、生命力と自然愛に満ち溢れた素晴らしい作品が一堂に並んでいます。
必見です。

平成30年2月22日(木)~3月2日(金)
11時00分 – 19時00分
赤坂游ギャラリー
〒100-0014 東京都
東京都千代田区永田町2-14-3 東急プラザ2F
03-3595-7111


ここからは植物談義、夏目漱石の小説にも出てくる「赤茄子」の話です。茄子の種類にそんなのがあったかな?と不思議に思いますが、実は「トマト」のこと。外来種で、まだ名前が定まっていなかった明治の頃のことです。

小生は、思い違いをしていました。トマトは、てっきり夏の野菜と思い込んでいたのです。本当は2月から3月にかけて取れるのが一番美味なのだそうです。それもハウス栽培されたものが最高だとか。理由は、原産地の気候に似ているからだそうです。

原産地は南アメリカのアンデス山脈高原地帯。ヨーロッパにもたらされた当初、トマトの酸味によって食器の鉛が漏出してしまい中毒にかかる人が出たため、毒であると信じる人も多く、観賞用としてのみ栽培されていたそうです。

その後、最初に食べた人は勇気のあるパイオニア。どんな人だったのでしょう。

個人的な感想ですが「赤茄子」の語感が気に入っています。

関西では、叱咤激励する時に「ボケ茄子」「茄子カボチャ」という言葉を使うことがあります。不器用だった小生の修業時代を思い出してしまいました。

  額装の㈱アートコアマエダ(店主)

牛の涙

春の兆しを感じるこの頃です。

こんにちは。

昨夜はAI「人工頭脳」についてのテレビ特集を見ました。将棋では、トップ棋士のライバルとして登場してきました。天気予報や経済予測、そして、介護や医療の分野では、すでに活躍中です。

今、一番期待されているのは車の自動運転ですね。

しかしAIの進化が進むと、その先には人類との摩擦、衝突が待っているかもしれないとのことです。「未来には、まだ予測不能の部分あり」と不安を含んだ結びになっていました。

話は変わりますが、小生が小学二年の折のこと、鳥取県東伯郡の母方の祖父の病気見舞いに行きました。母と2歳年下の弟と一緒でした。そこで飼われていた一頭の老牛が、殺処分の為トラックに乗せられていくところに遭遇しました。その実家の従兄から後で聞いたのですが、その前夜は「モウ~ッ」「モウ~」と、いつもとは違う切なげな声で、鳴き続けていたといいます。

動物は、自分の寿命を予知することができるのでしょうか。

トラックに乗せられる時は、前足を土にめり込ませ、杭の様にして踏ん張っていました。鼻がもぎれんばかりに引っ張られ、それでも顔を横に向けて、目を大きく見開いて何かを探しているかのように周りをギョロ、ギョロ。必死に抵抗をしていました。口からは白い泡のようなものが出ていました。

屈強なオジサンたちが、引きずるようにして荷台に乗せて連れて行こうとします。眼からは「大粒の涙」が溢れ出ていました。衝撃的な光景でした。「たすけて~」「死にたくない~」少年には、そんな風に聞こえます。多少の記憶違いもあるかもしれませんが、あの長い睫毛の大きな黒い瞳が、特別大きく感じられたのを覚えています。

祖父は、母屋の部屋に入ったきり、老牛との最後の別れをしませんでした。

あれから何十年、今になって思い至ったことがあります。子牛の頃から生活を共にしてきて育んできた「情」というものは、人間の親子と変わらなかった筈。祖父が見送りに出て来なかったのは、その悲しみに耐える自信がなかったから・・・だったのかもしれません。

そして老牛が、大粒の涙を流しながら周りをギョロギョロと見回していたのは、死の恐怖というより、祖父の姿を探していたのではなかったのか。最後の「別れ」をしたかったのではないだろうか、と。

しかし、このような話は、AIには理解してもらえないかも・・・ですね。

さあ、今週も元気に頑張りましょう。        
  
  額装の㈱アート・コアマエダ(店主)