牛の涙

春の兆しを感じるこの頃です。

こんにちは。

昨夜はAI「人工頭脳」についてのテレビ特集を見ました。将棋では、トップ棋士のライバルとして登場してきました。天気予報や経済予測、そして、介護や医療の分野では、すでに活躍中です。

今、一番期待されているのは車の自動運転ですね。

しかしAIの進化が進むと、その先には人類との摩擦、衝突が待っているかもしれないとのことです。「未来には、まだ予測不能の部分あり」と不安を含んだ結びになっていました。

話は変わりますが、小生が小学二年の折のこと、鳥取県東伯郡の母方の祖父の病気見舞いに行きました。母と2歳年下の弟と一緒でした。そこで飼われていた一頭の老牛が、殺処分の為トラックに乗せられていくところに遭遇しました。その実家の従兄から後で聞いたのですが、その前夜は「モウ~ッ」「モウ~」と、いつもとは違う切なげな声で、鳴き続けていたといいます。

動物は、自分の寿命を予知することができるのでしょうか。

トラックに乗せられる時は、前足を土にめり込ませ、杭の様にして踏ん張っていました。鼻がもぎれんばかりに引っ張られ、それでも顔を横に向けて、目を大きく見開いて何かを探しているかのように周りをギョロ、ギョロ。必死に抵抗をしていました。口からは白い泡のようなものが出ていました。

屈強なオジサンたちが、引きずるようにして荷台に乗せて連れて行こうとします。眼からは「大粒の涙」が溢れ出ていました。衝撃的な光景でした。「たすけて~」「死にたくない~」少年には、そんな風に聞こえます。多少の記憶違いもあるかもしれませんが、あの長い睫毛の大きな黒い瞳が、特別大きく感じられたのを覚えています。

祖父は、母屋の部屋に入ったきり、老牛との最後の別れをしませんでした。

あれから何十年、今になって思い至ったことがあります。子牛の頃から生活を共にしてきて育んできた「情」というものは、人間の親子と変わらなかった筈。祖父が見送りに出て来なかったのは、その悲しみに耐える自信がなかったから・・・だったのかもしれません。

そして老牛が、大粒の涙を流しながら周りをギョロギョロと見回していたのは、死の恐怖というより、祖父の姿を探していたのではなかったのか。最後の「別れ」をしたかったのではないだろうか、と。

しかし、このような話は、AIには理解してもらえないかも・・・ですね。

さあ、今週も元気に頑張りましょう。        
  
  額装の㈱アート・コアマエダ(店主)