へそ曲がりと日食

こんにちは。

小生が子供の頃は部分日食をセルロイドの下敷きで見たものです。
途中で目が痛くなり見るのを途中で放棄した記憶があります。
回復にしばらくの日数が掛かってしまいました。
当時は学校からの指導も徹底していなかったもので・・・。
(あるいは先生の指導を真面目に聞いていなかった自分に原因があったのかもしれません。)

そして先日の金環日食の朝。

「雲がかかっていて南関東は、駄目かもしれませんね」
ラジオのレポーターが話していました。
確かに空は曇り模様。

(今回は、駄目かな・・・)

ところが会社の駐車場に着いてしばらくしたところで
雲は散りだし奇跡的に太陽が顔を出しました。

「やった!」
完全に子供の頃に戻った気分。

頂きものの簡易グラスでしたが、しっかりととらえることができました。

 
(せっかくだから、写真に撮っておこう)

金環食になった時は暗くなり気温も一瞬下がったように感じました。

この時間帯、駐車場は従業員の皆さんの通勤車で込み合います。
邪魔にならぬよう隅っこへ移動。
横には同じように息を凝らして観察する人達がいます。
向こう側の道路でも散歩中の方々が
グラスのようなものを目に当てて空を仰いでいます。
でも、無関心に通り過ぎていく人もいます。
意地でも見ようとしない人達もいます。
皆さんそれぞれです。

何かの本で読んだことがあります。
私たち人類が絶滅せずに今日まで生き延びることができたのはなぜか?
何万年もの間に、絶滅の危機は何度もあったはずです。
たとえば大型の動物に多くの人類が殺されました。
そして大量の隕石が宇宙から降り注いだ時期もありました。
その折々に絶滅してしまった他の動物と人類は何が違ったのでしょうか?

「人類は集団で存在しても、危機に直面した時に必ずしも一つの方法、一つの方向に徹底しなかったから・・・」

そんなことが書いてありました。

穴から飛び出してで逃げる人達もいる。
単独で反対方向へ走り出す人もいる。
死んでも絶対に穴から出ないもいる。

人類だけは多様な生存方法をとったので、誰かは、必ず生き延びれる。
種の保存が確保できた・・・とのこと。

こういう「へそ曲がり的な部分」は人類にとって意外と大切な特長なのかもしれない。
周りの人達の行動を見ていて「なるほど」と納得の笑いが込み上げてきました。

日食の幸運が続きそうな週の始まりでした。
                     ㈱アート・コアマエダ